高野山 開山1200年 戦国武将供養塔
九度山の記事は追ってご紹介します。
九度山から高野山への道ですが
ワタシの予想に反して結構な山道でびっくり。
南海電車で行った方が良さそうです。
外国の方も結構来てました。
天台宗って密教のイメ-ジでなんかミステリアスな
雰囲気なんですが今の高野山はとてもオ-プンで
英語表記も備えられており海外の方もウェルカムです。
とても広いです。バス移動もできますが時間を
たっぷりとってのんびり歩いてまわるのが
総本山の金剛峯寺にご参拝。
ちょっと外れの方まで歩いて移動です。
高野山ですが昔は女人禁制で女性は入れなかった
時代もありました。
これより先は立ち入り禁止でした。
この女人堂は高野山に来た女性がこの界隈に
お堂を建て参拝していたそうです。
女人堂は複数あったそうですが今はこの建物しか
残ってないそうです。
ちょっと興味があったのが、越後の小杉殿と言う
女性が高野山に来ましたが女人禁制を知らず、
入れなかったのでこのお堂を建てたのが始まりだそうです。
話が少しずれますが女性説のある上杉謙信は
高野山に実際に来たと言われております。
そのため謙信が高野山に来たのは女性説のある謙信の
女性説を否定する重要な根拠になっていたりします。
ただ、男装すれば入れたとの説もあります。
戦上手な戦国大名でお金持ちだった謙信ですが
(謙信は青苧の栽培や販売で当時の庶民衣料材料の
生産、日本海航路で莫大な利益を上げてました)、
もし女性だったとしてもそれをとの理由に
断るのは高野山でも難しかったと思います。
当時、高野山にとっても仏教勢力寄りだった謙信を
敵に回すのはメリットはありませんし。
信長は仏教勢力と争い、高野山も気にはなって
いたはずです。
謙信ですが実は上杉家の出身ではなく長尾家が
本来の家柄ですが養子、関東管領を継ぐために
上杉家になった経緯を持ってます。
上杉家と小杉(しかも越後)で少し変に
勘ぐってしまいましたが。
上杉謙信女性説の小説、越後の虎です↓
http://ncode.syosetu.com/n3413i/
金剛峯寺以外にもお寺がたくさんあります。お寺ファン必須。
お寺パラダイスです。外国の方の日本文化ファンなら
徳川家の霊廟、大徳院。徳川家康と秀忠親子が並んでます。
家康も高野山に来たことがあり、その宿坊の
跡地が霊廟になってます。
強靭な番犬猫が鉄壁ガ-ド!
奥の院に向かいます。
ライバルの上杉謙信(と、景勝)。
謙信は供養塔ではなくお堂スタイルのかなり珍しい物。
そして高野山を焼き討ちしようとしていた
織田信長の供養塔もここにあります。
いろんな戦国武将がおります。
前田利家、伊達政宗、本多忠勝・・
今、人気の石田三成の供養塔をご紹介。
ここから先は聖域です。撮影はここまで。
パワ-を感じます。
犠牲者の方や企業の供養塔もたくさんあります。
新明和工業の供養塔はインパクト大ですが
他にもユニ-クな供養塔がたくさんあります。
駐車場があまりなく、道も狭いので電車が良さそうです。
駅を下りたらバスもたくさんおります。
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