実は明智光秀の遺構もあります 大覚寺
門をくぐると巨大な御殿が建っています。
この御殿ですがワタシも知らなかったのですが
明智光秀が建てた亀山城の御殿を移築した物だそうです。
訪問当時は知らず完全にスル-してしまった残念なワタシ。
同じく亀山城から移築された明智門も通り過ぎておりました。。。
あまり詳細や経緯は分からないのですが江戸時代に
大覚寺に移築されたようです。
中はこんな感じで広くて快適そうです。
明智光秀ですが世間的には一応主君を裏切った
悪人になっていますが
京都周辺では人気があるようで密かに木像として
慕われたり屋敷を移築されたりとちょっと通説の
イメ-ジとは違う気もしますが。
平安時代風なこちらの建物は徳川和子の屋敷の
遺構です。徳川和子は2代将軍徳川秀忠の娘で
豊臣秀頼に嫁いだ千姫、前田利常に嫁いだ珠姫の
妹で皇室に彼女は嫁いでいます。
お庭も凝っています。
徳川和子ですが芸術的なセンスが抜群のうえ
手先も器用で当時のファッションリーダー的な
存在だったとか。
幕府と朝廷との対立で政治的にはかた苦しい生活だった
ようですが彼女の作品は都の公家衆や富裕な商人や
文化人には人気があったようです。
御所みたいです。実際に大覚寺は平安時代の嵯峨天皇の
離宮でした。空海もこのお寺を訪れた事もあります。
ちなみに嵯峨天皇の父親の亀山法皇の系統を
大覚寺統、後深草天皇の子を持明院統と言い
この両系統の対立が後の南北朝対立に繋がっています。
大沢池。広いです。日本最古の庭池だそうです。
紅葉がとにかくきれいでした。
建物の間を結ぶ廊下も平安時代風でなかなかオシャレです。
平安時代の優雅さが偲ばれます。
移動中です。目線が高くて気持ち良いです。
色々お堂もありますが比較的新しい物が多かったです。
嵐山の奥で結構距離があるのですが
京都駅から直行バスもあります。
↓よろしければポチッとお願いします!
« KATO 700系 新幹線 | トップページ | テレビとネット »
「歴史ネタ」カテゴリの記事
- 馴馬城跡 春日顕国が奮闘 南朝関東地区最後の拠点 (2024.09.15)
- 逃げ上手の若君 第17巻 (2024.09.15)
最近のコメント