岸和田城 三好政権 豊臣政権 江戸幕府の重要拠点
戦国時代中期の織田信長以前の時代も
畿内で大勢力を振るった三好長慶の
弟の三好実休が入り三好氏の拠点の四国徳島阿波と
淡路島と畿内を結ぶ重要拠点として機能します。
三好政権衰退後、織田信長時代は
信長の重臣で美濃土岐氏の一族の蜂屋頼隆が務めます。
本能寺の変の後の秀吉時代は紀州攻めの
重要拠点として信長の重臣の中村一氏になります。
小牧長久手の戦いでは秀吉の戦力が手薄な時に
雑賀衆に攻め込まれますが蛸地蔵伝説などで
何とか守りきっています。
その後は秀吉の正室ねねの親族で秀吉の
叔父に当たる小出秀政が城主になります。
江戸時代は家康の子の松平信吉や北条氏勝、
家康の子の噂がある松平康重を経て
岡部宣勝が岸和田城になり江戸時代は
岡部氏が岸和田を治めて行きます。
岸和田城ですが堀と石垣が立派ですが紀州松平家に
対する備えも密かにあったようです。
先週紹介した本徳寺ですが3代目藩主の岡部行隆の
命で鳥羽海雲寺から岸和田に移動し寺名も
本徳寺に改めたそうです。
なお江戸時代の藩主の松平康勝や岡部宣勝の父の長盛らは
丹波国の城主だった経験があるのは偶然でしょうね。
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