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2022年7月10日 (日)

岸和田城 三好政権 豊臣政権 江戸幕府の重要拠点 

大阪岸和田市の岸和田城に行ってきました。

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立派な石垣と堀があります。

戦国時代中期の織田信長以前の時代も

畿内で大勢力を振るった三好長慶の

弟の三好実休が入り三好氏の拠点の四国徳島阿波と

淡路島と畿内を結ぶ重要拠点として機能します。

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三好政権衰退後、織田信長時代は

信長の重臣で美濃土岐氏の一族の蜂屋頼隆が務めます。

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本能寺の変の後の秀吉時代は紀州攻めの

重要拠点として信長の重臣の中村一氏になります。

小牧長久手の戦いでは秀吉の戦力が手薄な時に

雑賀衆に攻め込まれますが蛸地蔵伝説などで

何とか守りきっています。

その後は秀吉の正室ねねの親族で秀吉の

叔父に当たる小出秀政が城主になります。

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江戸時代は家康の子の松平信吉や北条氏勝、

家康の子の噂がある松平康重を経て

岡部宣勝が岸和田城になり江戸時代は

岡部氏が岸和田を治めて行きます。

岸和田城ですが堀と石垣が立派ですが紀州松平家に

対する備えも密かにあったようです。

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先週紹介した本徳寺ですが3代目藩主の岡部行隆の

命で鳥羽海雲寺から岸和田に移動し寺名も

本徳寺に改めたそうです。

なお江戸時代の藩主の松平康勝や岡部宣勝の父の長盛らは

丹波国の城主だった経験があるのは偶然でしょうね。

 

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