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2023年1月 7日 (土)

マイナ-戦国武将最強かも 水野勝成 

広島県福山市に行ってきました。

福山城訪問しました。

Img_4662c

水野勝成像がどかんと建っていました。

Img_4661c

水野勝成ですが三河の知多半島の出です。

父親の水野忠重が徳川家康の

実母の於万の方の兄ですので勝成も家康と

縁戚にも当たります。何気にすごい血統です。

勝成ですが少しマイナ-かもしれませんがなかなか波乱の

人生を歩まれています。

織田信長の家臣になった忠重の兄の水野信元に

勝成も仕え信長の配下で各地を転戦します。

若年にも関わらず多数の首を取りまくったとか。。。

ですが信元が信長に武田氏との内通を疑われ殺害されます。

信元の領土は佐久間信盛の領土となります。

この事件ですが信元殺害は家康の家臣で三河衆の

平岩親吉と久松俊勝が行ったので三河の国人衆や

徳川家内でもかなりの禍根があったと思われます。

家康の嫡男の信康切腹事件や水野信元殺害事件など

歴史で教わる織田信長と徳川家康の友好関係は

実はかなり疑わしいかも。

本能寺の変の前後の家康の動きも変ですし。

どうする家康がここの描き方をどうするか楽しみ。

Img_3076c

忠重と勝成親子はその後は家康に仕えますが

佐久間信盛が失脚すると忠重が信元の旧領の

相続を信長に認められます。

信長も信元殺害が佐久間信盛の冤罪と考えたようです。

その後は再度信長の配下になりますが

本能寺の変の時は忠重、勝成親子は京に居たのですが

信長の援軍に行かず三河に帰っているので

信元殺害の遺恨はやはりすごかったのかも。

勝成ですが信長を討った明智光秀の

日向守を後に名乗ったりしていますし。

信長を討ったと言われる光秀の家臣の安田国継は

友達と話していたようでなんか

三河衆の信長に対する感情が何となく

感じる次第ですが。。。

Img_3078c

その後、今度は父の忠重と仲違いし

京で放浪し南禅寺周辺や清水周辺で大喧嘩で人を多数殺害したとの

恐ろしい記録もあるようです。。。

虚無僧になったり焼き物職人になったなど

武将と思えない真相不明の話もあります。

(余談ですが福山藩はその後虚無僧の出入りを禁止したとか。

理由は不明ですが)

その後は佐々成政や広島の三村氏に仕えたりしています。

子供で2代目福山藩主の勝俊も三村氏時代に誕生します。

三村氏はその後、勝成が福山藩主になった時に

家老待遇で呼ばれた良い話もあります。

Img_4670c

勝成ですが秀吉死後に父の忠重と仲直りし

家康にも呼ばれて家康の家臣になります。

そして関ケ原、大阪の陣、島原の乱に参戦します。

大坂の陣では51歳で大将なのに前線で戦い

家康に呆れられたとか。。。

そんな勝成ですが福山藩主に抜擢されます。

Img_4669c

勝成ですが福山藩主になるとい草の栽培や

新田開発を行い福山藩の基礎を築きました。

家臣も流浪時代や三村氏に仕えていた頃の

ネットワ-クを活用しうまく統治したようです。

監視も緩かったようです。

領民への扱いも庶民の生活を良く分かっていたので

緩かったようですがそれでも

福山藩では水野氏時代は一揆は起こらなかったとか。

人間やはり苦労したほうが良いとの見本かも。

戯言を言ってみました。

大河ドラマにすると面白そうですが

信長への複雑な感情が見受けられるし

流浪時代がちょっと凶暴系なんで

ちょっと難しいのかもしれないですね。

でも個人的には興味あります。

ワタシのブログに書き切れないほど面白い

逸話ある御方ですので。

勝成ですが88歳で大往生しております。

 

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