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2024年6月 2日 (日)

智積院 加藤清正施工 鶴松の元菩提寺跡

京都市東山区にある智積院に行ってきました。

Img_8713c

三十三間堂の先にあります。

ちょっとマイナ-かもしれませんが

広大なお寺であります。

智積院は元々は紀伊の根来衆の坊頭でしたが

豊臣秀吉と根来衆は対峙し敗北、焼き討ちされます。

Img_8739c

玄宥上人は智積院の再興を目指しますが

秀吉時代は許可が降りず

関ヶ原の戦いの後に豊國社に付する寺院の土地を

与えられ徳川家康時代に再興されます。

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1615年に豊臣氏が滅ぶと

豊國社の近くの豊臣秀吉の子の鶴松の菩提寺の祥雲寺が

ありましたがその寺院も幕府から譲り受け

智積院は再興され今に至ります。

Img_8709c

智積院には長谷川等伯の国宝の絵が残されていますが

これは祥雲寺の御殿にあった物で発掘調査で祥雲寺は

かなり豪華な御殿だったようです。

Img_8741c

智積院ですが桔梗紋です。

加藤清正が最初に智積院の施工をしたのですが

清正は蛇の目紋が有名ですが

桔梗紋も使用していたようです。

加藤清正配下には豊臣秀吉の九州征伐で失態し

改易された尾藤知宣の家臣が召し抱えられており

彼らも桔梗紋とか。

明智光秀とは関係がないようです。

 

Img_8745c

加藤清正が桔梗紋を使ってたのはワタシも知らなかった。

Img_8747c

尾藤氏は元は信州小笠原家の家臣系ですが

尾藤氏の家臣はその後は加藤氏改易後も

肥後に来た細川忠興に仕える者が多かったようです。

細川忠興ですが娘が小笠原忠真に嫁いで

縁戚だったのもあったのかもしれません。

Img_8718c

京都のオ-バ-ツ-リズムと無縁でのんびり

回れました。

Img_8730c 

根来衆ですが家康時代は犬山藩主の成瀬氏配下になり

今の新宿周辺に配備されたとか。

根来衆は鉄砲で有名だったので江戸の守りだったのでしょう。

Img_8722c

有名な庭園に向かいます。

Img_8723c

川崎大師も智積院の系統だったんですね。

Img_8725c

のんびり

Img_8724c

まったり

 

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