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2024年6月16日 (日)

明智光秀 首塚 再訪問 知恩院そば 

明智光秀 首塚 再訪問しました。

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2013年以来の訪問です。

光秀の首塚を目指して白川筋沿いをのんびり散策。

疎水は海外観光客で賑わっていました。

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光秀の首塚の管理をされてる餅虎さんの

お饅頭を食べたかったけど夕刻に

行ったのでもう残念ながら閉まっておりました。

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相変わらずきれいに清掃されており素晴らしいです。

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失礼します。

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近付いたら照明が点灯する現代的な装備が付いていました。

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明智光秀ですが山崎の戦いで敗れて坂本に戻る途中

京都伏見区小栗栖で落武者狩りで討たれております。

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光秀の首は晒された後、蹴上周辺に埋葬され

塚が建てられていましたが江戸時代中期に

ここに移されたそうです。

元々はここにあった訳ではないようです。

これはワタシも知りませんでした。

五重塔も江戸時代の物だそうです。

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ただこの時の首は荒木行信と言う光秀の影武者で

本人は荒深小五郎と名を変えここ

現在の岐阜県山県市で暮らしたそうです。

荒深小五郎ですが関ヶ原の戦いの時に挙兵し

家康の援軍に向かいますが途中で落馬溺死して

しまったちょっと残念なオチもあるのですが。

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京都府福知山市では光秀は神様であります。

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光秀ですが主君信長を討った悪人でもありながら

善政を布いたため地域によっては

神様としても祀られているのが魅力でしょうか。

神様だけでなくもしかしたら南光坊天海説だったり。

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光秀の首塚の近くの知恩院は徳川家康の菩提所でもあります。

光秀ネタですが非常に奥が深いです。

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大河ドラマ麒麟がくるがコロナの影響で

なんか不完全燃焼気味だったのでもっと

新しい光秀像も見たい気もしまする。

 

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