明智光秀 首塚 再訪問 知恩院そば
光秀の首塚の管理をされてる餅虎さんの
お饅頭を食べたかったけど夕刻に
行ったのでもう残念ながら閉まっておりました。
相変わらずきれいに清掃されており素晴らしいです。
失礼します。
近付いたら照明が点灯する現代的な装備が付いていました。
明智光秀ですが山崎の戦いで敗れて坂本に戻る途中
京都伏見区小栗栖で落武者狩りで討たれております。
光秀の首は晒された後、蹴上周辺に埋葬され
塚が建てられていましたが江戸時代中期に
ここに移されたそうです。
元々はここにあった訳ではないようです。
これはワタシも知りませんでした。
五重塔も江戸時代の物だそうです。
ただこの時の首は荒木行信と言う光秀の影武者で
本人は荒深小五郎と名を変えここ
現在の岐阜県山県市で暮らしたそうです。
荒深小五郎ですが関ヶ原の戦いの時に挙兵し
家康の援軍に向かいますが途中で落馬溺死して
しまったちょっと残念なオチもあるのですが。
京都府福知山市では光秀は神様であります。
光秀ですが主君信長を討った悪人でもありながら
善政を布いたため地域によっては
神様としても祀られているのが魅力でしょうか。
神様だけでなくもしかしたら南光坊天海説だったり。
光秀の首塚の近くの知恩院は徳川家康の菩提所でもあります。
光秀ネタですが非常に奥が深いです。
大河ドラマ麒麟がくるがコロナの影響で
なんか不完全燃焼気味だったのでもっと
新しい光秀像も見たい気もしまする。
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