牛久城 山口重政のお家復興の執念
茨城県牛久市にある牛久城に行ってきました。
今では丘か林のようになっていますが
戦国時代は北条氏と佐竹氏の対立の最前線でした。
北条氏に属していましたが豊臣秀吉の北条征伐後は
開城し上野金山城から来た由良氏が城主になっています。
2022年訪問です。
江戸時代になると一度廃城になりますが
1628年に牛久藩が起こされ初代藩主に
山口重政が任命されます。
山口家はその後江戸時代を通じて牛久を治めました。
元々石垣や天守はなく塀や堀のみの
昔ながらのお館風のお城だったようです。
今では木々に覆われています。
山口重政ですが大内氏の庶流の系統を持ち
尾張に移動した後に織田氏仕えます。
信長の重臣の佐久間信盛の子の佐久間正勝に
仕えますが信長が亡くなった後は織田信雄に仕えます。
信雄が徳川家康と組んで戦った小牧長久手の戦いの
時は秀吉方の滝川一益と戦い味方が苦戦する中
最後まで戦い抜きました。
その後は徳川秀忠の家臣になり
関ヶ原の戦いの時の信濃上田城の
真田昌幸の攻略時に功があり
牛久の地を手に入れました。
しかし大久保忠隣事件に巻き込まれ改易されます。
でも山口重政はお家再興を諦めず大阪の陣に井伊直孝隊に
参加し息子の山口重信が豊臣秀頼の重臣の
木村重成に討たれてしまいますが奮闘し
この功を幕府は認め1628年に
再度牛久藩主に返り咲いています。
すごいぞ山口重政。
重政は牛久城を再興せず牛久城の一角に陣屋を
建て拠点としました。
幕府が山口重政を再度牛久に配したのは彼の
武功だけでなくこのすぐ近くに伊達氏の
飛び地の龍ケ崎陣屋があったのもあるかもしれません。
龍ケ崎陣屋は追ってご紹介します。
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