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2024年10月27日 (日)

鳴海城 山口教継 隠れた名将かも 

名鉄本線鳴海駅にやって来ました。

Img_8057c

目指すは鳴海城跡です。

織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦いの

前哨戦で有名かもしれません。

鳴海城ですが信長の勢力の熱田神宮と目との鼻の先です。

名鉄電車だと10分くらいでしょうか。

元々は信長の父親の信秀の重臣の山口教継が

治めていましたが山口教継は信長の代になると

義元に付きます。

義元と信長の戦いが始まると

鳴海城を楽に手に入れていた義元は

義元の重臣の岡部元信の大軍を鳴海城に配置し

まずは信長方の大高城の攻略を目指します。

(大高城は鳴海城の西南2キロ程度)

鳴海城の岡部元信と三河からの松平元康(徳川家康)の部隊で

大高城も今川方に落とされると信長は

絶体絶命に陥ります。

大高城と桶狭間の記事は追ってご紹介します。

Img_8047c

山口教継の事前攻略で信長はピンチに陥ります。

しかし義元は沓掛城から鳴海城か大高城に向かう途中に

酒盛りして油断してし休憩していたところを

信長の奇襲で討たれてしまいます。

Img_8049c

義元が討たれたものの鳴海城の岡部元信と

大高城を落とした松平元康(徳川家康)の部隊が

残っていたので弔い合戦に挑む手もあったのでしょうが

今川はそれを選ばず手に入れた鳴海城と大高城を

手放し義元の首を引き換えに駿河に撤退しました。

信長はこうして危機を脱しただけでなく天下に

その名を轟かします。

義元を継いだ今川氏真ですがその後

駿河に戻ると山口教継親子を切腹させています。

信長が氏真を調略し山口教継親子を切腹させた

ことになっていますが

想像ですが鳴海城大高城から簡単に撤退した

氏真に抗議した山口教継らを殺害し

敗戦の処理をさせたのかもしれません。

山口教継ですが歴史的には無名ですが

優秀な武将だったのかと思われます。

氏真ですが信長に敗れ義元の弔い合戦もしなかったので

今川家臣の離脱や同盟を組んでた武田信玄の

裏切りにあい結果的に戦国大名としては

滅んでしまっています。

氏真ですが武将として評価が低いのは

仕方がないのかもしれません。

Img_8053c

鳴海城ですが高台のお城で今は公園です。

戦後は信長の重臣の佐久間信盛が入ったりしますが

早い段階で廃城になっています。

Img_8050c

なぜか富士山の遊具が。。

Img_8052c

名鉄電車が快走中。

周辺は住宅街です。

信長がこの窮地を覆したのはやはりすごいなと

思ったり。

 

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