守山城 守山崩れと織田徳川の因果かも
名古屋市守山区にある守山城に行ってきました。
織田信長の父親の信秀時代は信秀の弟の信光が治めていました。
守山区の名前の所以になっているようですが
地味なお城です。
今は宝勝寺と言うお寺になっています。
しかしこのお城ですが実は徳川家康の祖父の
松平清康や父の松平広忠に因果のある
お城だったりします。
1535年ですが松平清康は三河を統一し
斎藤道三との戦いに苦戦する
織田信秀の隙を見て尾張に攻め込みます。
初戦は守山城を守る信光に敗れるも
体制を整え直そうとした矢先
家臣に清康は殺害されてしまいます。
(守山崩れ)
この殺害事件の背景はかなり複雑で
信秀の工作説もありますが
室町幕府の管領の細川氏や
細川氏に付く付かないで勢力争いをした
松平家中や織田家中、さらには今川家中も絡み
しかも偽文書も紛れ込んでいる可能性もあり
経緯は難解です。
守山城はその後信光の子の代に引き継がれます。
この時も信長や弟の信行との後継者争いなど
かなり難解な展開がありますが
ここでははしょらせて頂きます。
信光の子が長島願正寺一向一揆との戦いで戦死すると
1577年頃廃城になりその後
江戸時代に宝勝寺が建てられ今に至ります。
宝勝寺は松平清康の菩提を弔っています。
松平家ですが清康が亡くなると信秀が反撃し
清康の子の広忠は吉良氏に支援を依頼し
さらに駿河の今川義元の配下に入り
支援を受けますが松平家は混乱の最中でした。
そのような時に広忠まで若くして亡くなってしまいます。
広忠の死亡原因は最近のドラマでは暗殺が多いようですが
病死説もあるようです。
広忠の家臣たちは今川義元に広忠の子の竹千代、
後の徳川家康を人質として送りますが家康も
今川織田の家臣のごたごた裏切りなどで幼少の頃は
信長の元にも人質に送られたりもしています。
なお余談ですが広忠ですが元服前は竹千代で
家康と同じ名前のようです。
下剋上の世なので仕方がないのですが
信長と家康の父親たちの因果な関係もあって
信長と家康たちの関係も友好的ではなく
単にお互いの有益を優先した
かなり複雑で裏があったかも。
信康事件もありましたし
江戸時代の織田家もあまり幕府に優遇されてる
感じではなかったですし。
名古屋ドームを望みます。
そういえば今年のプロ野球の横浜ベイスターズの
下剋上は見事でしたね。
巨人阪神ホークスファンは複雑でしょうが。
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