大高城 桶狭間の戦いでの兵糧入れで有名
名古屋市緑区にある大高城に行ってきました。
桶狭間の戦いの前哨戦で松平元康時代の
徳川家康が兵糧を搬入したことで有名です。
大高城ですが元は織田方の城でしたが
先週ご紹介しました鳴海城の山口教継の調略で
沓掛城と大高城は今川義元の手に落ちました。
織田信長も大高城を牽制するために大高城と鳴海城の
間に鷲津砦と丸根砦を作っております。
写真は鷲津砦です。
鷲津砦ですが今は公園ですがこんもりした小山で
住宅地の中に埋もれながらも往時の雰囲気を
忍ばせています。
丸根砦も鷲津砦から東に数百メートルの距離に同じように
住宅地の中の小山のようにそびえています。
目の前を東海道線と東海道新幹線がびゅんびゅん走って行きます。
東海道線の大高駅から大高城に向かいます。
正面の小山が大高城で大高駅から目視可能な距離です。
大高駅から徒歩10分程度で大高城に。
入口が少し迷いましたが電柱の案内板ありました。
とうちゃこ。
桶狭間の戦いが始まるとまず今川義元は
信長方の鷲津砦と丸根砦を落としています。
今川義元に沓掛城、鳴海城、大高城の
ラインを抑えられた上で
松平元康が兵糧を大高城に搬入しています。
このラインを抑えられて信長はピンチだったでしょう。
このように準備万端で今川義元は
沓掛城から大高城か鳴海城に悠々と
向かおうとしたところをまさか信長に
急襲されたのが桶狭間の戦いでした。
大高城の居住エリアは公園になってます。
鷲津砦を望みます。
桶狭間の戦いが終わると廃城になったと言われますが
その後は尾張徳川家の家老の志水家が居城として
使用していました。
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