東京国際フォーラムの太田道灌像 再訪
久々の訪問ですが色々と展示物が増えており
グレ-ドUPしてました。
2013年はオリンピック誘致に一肌脱いでました。
太田道灌ですが扇谷上杉家に忠実に仕えて
扇谷上杉家の勢力を大いに回復させますが
道灌の力を恐れた主君に討たれてしまいました。
道灌を失った扇谷上杉家はその後没落していきました。
江戸城を作ったのは徳川家康ではなく太田道灌です。
よくあるひっかけ問題です。
道灌が敵対する千葉氏との備えで作ったとか。
そんな悲劇的なラストもあって
太田道灌は関東地区では根強い人気で
こんなにたくさん像があるとのことです。
道灌ですが人気の割には大河ドラマになりにくいのは
やはりこの関東の戦いがあまりにも難解なのと
室町幕府の家臣内の争い、内輪の勢力争いで
あまり部外者が興味を惹きにくいとこでしょうか。。
関東地区はその後、戦国時代は伊勢早雲(北条早雲)の
後北条氏に実質的に統一されますが
戦国時代以前から室町時代中期より
室町幕府系の鎌倉公方の足利氏や
その家臣筋の上杉家の争いを長く続けていましたが
最後は人々がそれに飽きてしまい
川越夜合戦での北条氏康が不利な状況を
ひっくり返し旧幕府系の勢力から人々が離れ
後北条氏に有利に働いたのかもしれません。
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