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2025年2月15日 (土)

元寇 元の使者の供養塔 常立寺

2024年夏ですが鎌倉訪問です。

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常立寺ですが北条時行最期の地の龍口寺のすぐ近くです。

一度目の元寇 文永の役(1274年)の直後の

1275年に七度目の元の使者として来日し

当時の執権の北条時宗の命で斬られてしまった

杜世忠たちの供養塔があるお寺です。

一度目の元寇の文永の役は日本軍は元軍に押されたものの

神風で元は撤収したと昔は教科書で習いましたが

どうもそうではなかったようです。

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使者の杜世忠の辞世の句は大雑把に訳すと

(日本を元に従わせるという)このような栄達を

達することができれば中国の有名な政略家の妻も

元に帰還した私を出迎えてくれるだろう

(こんな交渉うまくいくわけない。残念無念)。

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当時より元の認識は日本は思ったよりも手強い

だったようです。

文永の役は偵察的な動向もあったようですが

それなりの戦闘があり元の指揮官が日本攻めの

リスクを判断し撤退したようです。

その後ですが8度目の使者も日本に遣わされますが

これも博多で斬られ元は史上最大級の

遠征軍を編成し弘安の役(1281年)を迎えます。

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日本も文永の役の経験を活かし元軍が上陸できないよう

石塁を造り上陸を阻止する戦法を取ります。

長期戦になり海に慣れておらず元軍は戦う前に

衰弱し上陸に手間取ってる間にまたもや

台風の直撃を受けご存じの通り

元軍は日本軍に大敗します。

2度の敗北でもフビライは日本征伐を諦めず

使者を引き続き日本に送りますが

9度目の使者は台風で日本に行けず10度目の

使者たちは日本に到達する前に帰国できないことを

恐れた船員に殺害されてしまいます。

11回目の使者はどうなったか不明ですが

12回目と13回目の使者は元に帰らず

日本で一生を終えております。

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供養塔です。

元寇の影響で鎌倉幕府は御家人に恩賞を払うことができず

元寇出兵費用を借金でまかない返せず借金のかたとして

土地を取られて落ちぶれた御家人は

盗賊になるなど鎌倉幕府の基盤は大きく揺らぎ

後醍醐天皇の蜂起に従った足利尊氏らの

活躍で鎌倉幕府は倒されます。

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逃げ上手の若君の主役の北条時行ですが

史実では鎌倉幕府執権の忘れ形見のチョイ役ですが

実際は後醍醐天皇と足利尊氏が仲違いすると

本当の敵であるはずの後醍醐天皇らに従い

足利尊氏と戦うなどなかなか難しい

キャラではありますが。

もし元寇がなければ鎌倉幕府も潰れず

時行も平凡な人生を歩んだかもしれません。

歴史にIFはないのですが。

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湘南モノレールをくぐると

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北条時行最期の地の龍口寺です。

龍口寺の2023年7月の記事もどうぞ。

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龍口寺の目の前の江ノ電の併用区間への入口。

江ノ電が通過して行きます。

 

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