元寇 元の使者の供養塔 常立寺
2024年夏ですが鎌倉訪問です。
常立寺ですが北条時行最期の地の龍口寺のすぐ近くです。
一度目の元寇 文永の役(1274年)の直後の
1275年に七度目の元の使者として来日し
当時の執権の北条時宗の命で斬られてしまった
杜世忠たちの供養塔があるお寺です。
一度目の元寇の文永の役は日本軍は元軍に押されたものの
神風で元は撤収したと昔は教科書で習いましたが
どうもそうではなかったようです。
使者の杜世忠の辞世の句は大雑把に訳すと
(日本を元に従わせるという)このような栄達を
達することができれば中国の有名な政略家の妻も
元に帰還した私を出迎えてくれるだろう
(こんな交渉うまくいくわけない。残念無念)。
当時より元の認識は日本は思ったよりも手強い
だったようです。
文永の役は偵察的な動向もあったようですが
それなりの戦闘があり元の指揮官が日本攻めの
リスクを判断し撤退したようです。
その後ですが8度目の使者も日本に遣わされますが
これも博多で斬られ元は史上最大級の
遠征軍を編成し弘安の役(1281年)を迎えます。
日本も文永の役の経験を活かし元軍が上陸できないよう
石塁を造り上陸を阻止する戦法を取ります。
長期戦になり海に慣れておらず元軍は戦う前に
衰弱し上陸に手間取ってる間にまたもや
台風の直撃を受けご存じの通り
元軍は日本軍に大敗します。
2度の敗北でもフビライは日本征伐を諦めず
使者を引き続き日本に送りますが
9度目の使者は台風で日本に行けず10度目の
使者たちは日本に到達する前に帰国できないことを
恐れた船員に殺害されてしまいます。
11回目の使者はどうなったか不明ですが
12回目と13回目の使者は元に帰らず
日本で一生を終えております。
供養塔です。
元寇の影響で鎌倉幕府は御家人に恩賞を払うことができず
元寇出兵費用を借金でまかない返せず借金のかたとして
土地を取られて落ちぶれた御家人は
盗賊になるなど鎌倉幕府の基盤は大きく揺らぎ
後醍醐天皇の蜂起に従った足利尊氏らの
活躍で鎌倉幕府は倒されます。
逃げ上手の若君の主役の北条時行ですが
史実では鎌倉幕府執権の忘れ形見のチョイ役ですが
実際は後醍醐天皇と足利尊氏が仲違いすると
本当の敵であるはずの後醍醐天皇らに従い
足利尊氏と戦うなどなかなか難しい
キャラではありますが。
もし元寇がなければ鎌倉幕府も潰れず
時行も平凡な人生を歩んだかもしれません。
歴史にIFはないのですが。
湘南モノレールをくぐると
北条時行最期の地の龍口寺です。
龍口寺の2023年7月の記事もどうぞ。
龍口寺の目の前の江ノ電の併用区間への入口。
江ノ電が通過して行きます。
↓よろしければポチッとお願いします!
« 逃げ上手の若君 第19巻 | トップページ | さようなら つば九郎 »
「歴史ネタ」カテゴリの記事
- 小貝川 木造橋 小目沼橋 (2025.03.16)
- 浅草江戸三十三間堂跡 矢崎稲荷神社 (2025.03.16)
最近のコメント