極楽寺 北条氏と足利氏の血筋
創建は2代目鎌倉幕府執権北条義時の子の重時です。
大きなお寺だったようでこの周囲の地名は
極楽寺の坊がたくさんあったことから来てるようです。
極楽寺の外に今でも導地蔵堂があります。
鎌倉はあじさいが多いですね。
猛暑が来る前に行ってきました。
雨のあじさいも乙でしょうか。
入口出口こんな感じ。
北条重時は母親が比企氏の出身ですが比企氏は
北条氏との勢力争いで敗れて滅んでいます。
重時も若い頃は京の六波羅探題など鎌倉の
政治からおそらく兄の泰時の配慮もあって
離れていますが仕事はきちんとこなします。
重時の子は北条氏得宗の一族だけでなく
足利氏へも繋がり南北朝時代に争った北条時行と
足利尊氏は実は重時の子の血筋であったりします。
複雑。
北条重時ですがあまり身分官位にとらわれず
(得宗にあまりこだわっていなかったようです)
実力主義だったようで京都にいた縁もあるでしょうが
降弁という比叡山と争った円城寺(三井寺)の
実力のある僧と関係を持ったり子供も母親違いが
多かったのもありますがお互い争いわず一族結束を
説いております。
御家人同士の争いを見てうんざりしていたのもあるでしょうが
浄土宗を信仰しており争いを好まなかったようです。
和歌も得意で1261年に極楽寺で亡くなっております。
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